数字塗り絵はなぜこんなに心を落ち着かせるのか:型のある創作の心理学
数字塗り絵がなぜ心を落ち着かせるのか、その理由を心理学の視点からやさしく。時間を忘れるフロー(没入状態)、決断疲れからのひと休み、そして自分の手でなにかを最後まで仕上げたときの、静かな満足について解説します。
数字塗り絵が心を落ち着かせてくれるのは、創作をストレスにしている二つのものを取り去り、そのかわりに、はっきりとして、しかも本当に最後までやり遂げられる作業を差し出してくれるからです。その二つとは、白紙への不安と、果てしなく続く小さな決断のこと。あとに残るのは、いちばん心地よい部分だけです。手を動かす一定のリズム、なにもなかったところに立ちあらわれていく色、そして、ひとつのものが仕上がっていく静かな手ごたえ。このガイドでは、なぜこの「かたち」が心をなだめてくれるのかを、心理学で古くから語られてきたいくつかの考えにそっと寄りかかりながら、それでいて臨床的な説明のふりはせずに見ていきます。
白紙こそが、いちばん気の重い部分
たいていの大人に「なにか絵を描いてみて」と言うと、体がこわばるのがわかります。まっさらなキャンバスは、自由ではありません。答えの出ていない問いが、いちどきに百も押し寄せてくる場所です。なにを描こう。そもそも、なにかに見えるだろうか。だいなしにしてしまったら。制約のない創作は、画家であること、批評家であること、進行役であることを、同じ瞬間にいちどきに求めてきます。そして最初のひと筆が置かれるより先に、たいていは批評家が勝ってしまうのです。だからこそ、とても多くの人が、そっと、そして早々に、自分にはどうやら創作の才がないのだ、と決めてしまいます。
数字塗り絵は、その重荷をまるごと下ろしてくれます。構図はもう決まっていて、色は選ばれていて、かたちは描かれています。あなたに求められているのは、なにかを生み出すことではありません。ただ塗って埋めていくことへの招きです。創作のうち、あの気おくれさせる半分を取り除いてみると、楽しさのほとんどは、そっくり手つかずのまま残ります。手のなかで絵が花ひらいていくのは、これまでどおり。ただ、そこへたどり着くために白紙と格闘しなくてよいのです。
型のある創作は、フローを生む「レシピ」
心理学者のミハイ・チクセントミハイは、フロー(没入状態)を、なにかに深く入り込むあまり時間の感覚が消えていくような状態、つまり、していることのなかに心地よく我を忘れている感覚として説明しました。フローの研究によれば、それは三つの条件がそろったときに生まれやすいといいます。はっきりした目標、すぐに返ってくる手ごたえ、そして自分の技量に見合った挑戦です。注意を引きつけておけるだけの歯ごたえがあり、それでいて、押しつぶされない程度のやさしさがある挑戦、ということです。
数字塗り絵は、この三つすべてに、まるで狙って設計されたかのようにあてはまります。目標はこれ以上ないほど明快です。七番の領域を、七番の色で塗る。手ごたえは即座に返ってきます。ひと筆ごとに、絵が目に見えて変わっていくからです。そして難しさは、自分で調整できます。絵にいくつの色を使うかを選べるからで、これはつまり、どれくらい歯ごたえを感じるかのつまみを回しているのと同じことです。これこそが、あの落ち着きの底で静かに回っているエンジンです。だれが意図したわけでもないのに、あなたをフローへとすべり込ませるように出来上がった営み、というわけです。
決断疲れからの、ひと休み
ふつうの一日が終わるころには、あなたのなかの「選ぶ」役割は、すっかりすり減っています。心理学ではこれを決断疲れと呼びます。決断を重ねるほど、次のひとつがいっそう重くなり、やがて小さな決断さえ、不釣り合いなほど消耗をもたらすようになります。疲れた人が、なにかを始めるより一時間もスマホをスクロールしてしまうのには、これが大きく関わっています。怠けているのではありません。始めるとは選ぶことであり、その選ぶ係が、もう店じまいしてしまっているからです。
ここで数字塗り絵は、とびきりやさしくふるまいます。ほとんどすべての決断が、あらかじめあなたのかわりに済まされているのです。どこに何が入るかは、番号が教えてくれます。パレットも、頭を悩ませる選択肢の壁ではありません。Wabihana では、パレットはあなた自身の写真からそのまま取り出されるので、色はもう決まっていて、はじめからあなたのものです。疲れた頭でも、なにかを生み出せます。生み出すという行いが、次はどの領域を塗ろうか、というひとつのやわらかな選択にまで絞り込まれているからです。決めるという「税」を払わずに、つくる喜びだけを受け取れるのです。
「仕上がった」ことの、静かなごほうび
輪郭のはっきりしたものをやり遂げることには、独特の満足があります。そして現代の暮らしは、それを驚くほどまれにしか与えてくれません。SNSのフィードは、いつまでも終わりません。メールは、空にしたそばから同じ速さで満ちていきます。一日のうちに私たちが手を触れるものの多くには、へりも、底も、終わったと正直に言える瞬間もないのです。数字塗り絵には、その三つがそろっています。絵には終わりがあり、最後の領域は本物のゴールラインで、そこを越えるとき、小さく、けれど澄んだ達成感が胸に落ちてきます。
果てしないスクロールは、完成のない刺激を与えます。塗り上がった一枚の絵は、雑音のない完成を与えてくれます。
この対比は、聞こえる以上に大切です。塗り上がったキャンバスは心地よく、閉じたタブはそうでない。その違いは、片方が終わるのに対し、もう片方はただ一時停止しているだけだからです。目に見える進み具合、領域がひとつ、またひとつと埋まっていくさまは、最後のひと筆を待つまでもなく、それ自体がゆるやかなごほうびになります。これがはじめの一枚なら、初心者向けガイドが、最初のタップから一枚目を塗り上げるまでを案内します。
手を伸ばす先を、もう少し穏やかなものに
私たちの多くは、こまぎれで不ぞろいな時間のポケットを持っています。バスに揺られる時間、待合室、眠りにつくまでの10分。そして私たちは、たいていそれを、スマホに手を伸ばしてスクロールすることで埋めてしまいます。その数分が、私たちをより良い気分にしてくれることは、めったにありません。スマホでの塗り絵は、まさに同じポケットにぴったり収まりながら、あなたを反対の方向へ連れていきます。いくつか塗り終えた領域、始めたときより少しだけ静かな心、そして腹を立てる材料はなにもない。オフラインでも動き、塗っているあいだに広告は出ず、アカウントなしで無料で始められます。だから、思いつきと落ち着きのあいだをへだてる壁は、ほとんどないに等しいのです。同じ動作、スマホを手に取るという動作を、もっとやさしい結果のほうへ向けているだけなのです。
これはどれも、健康への効能をうたうものではありませんし、医学的な助言でもありません。ただ、自分の手でなにかをつくるという、ありふれた、急がない満足があるだけです。そのやわらかさこそが、すべての眼目であり、この話をアプリの名前へと結び直す糸でもあります。侘寂(わびさび)は、不完全なもの、急がないもののなかに美しさを見いだします。ほんの少しゆがんだ縁、なにも生産的なことをせずに過ごした一夜、だれかに感心されようとはしていない手間。完璧ではない一枚の絵、つくること自体が心地よかったというだけの理由で生まれた一枚は、いわば手のひらにおさまる侘寂です。その考えと、なぜ私たちがそれを選んだのかについては、アプリを「Wabihana」と名づけた理由に書きました。もしそれが、あなたの求めている感覚なら、いつでも自分の写真から一枚、塗り始めることができます。