侘寂(わびさび):私たちが不完全さにちなんでアプリを名づけた理由
侘寂(わびさび)は、不完全なもの、移ろいゆくもの、完成しきらないもののなかに美しさを見いだす、日本の美意識です。その言葉がなにを意味するのか、そしてなぜそれが Wabihana の心臓部にある考えなのかを、静かにひもときます。
このアプリを「Wabihana」と名づけたのは、それが侘寂(わびさび)という日本の美意識を土台につくられたからです。侘寂とは、不完全なもの、移ろいゆくもの、そして完成しきらないもののなかに美しさを見いだす、ものの見方です。少しだけゆがんだ塗り、来週まで塗りかけのまま置かれたキャンバス、写真とぴたりとは重ならない一枚。侘寂の目から見れば、そのどれもが失敗ではありません。むしろ、そここそが眼目なのです。これは、その言葉がなにを意味するのか、そしてなぜ私たちが、つくっているものにその名を託したのかについての、短いお話です。
侘寂とは、ほんとうのところ何なのか
侘寂は、規則というより、ひとつの「見方」です。つやつやと磨き上げられた、ショールームのような完璧さの、ちょうど反対側にあります。多くのデザインが、傷ひとつない新しさを追いかけるのに対して、侘寂は、使い込まれたもの、飾り気のないもの、静かに年を重ねていくものに目を向け、それらをより美しいと感じます。この言葉は、二つの古い考えが重なってできています。侘(わび)は、簡素であること、そして力みのないことの気品です。なにもない部屋、一本の線、あなたを感心させようとはしていない、ひとつのもの。寂(さび)は、時間があとに残していく美しさです。古い真鍮にのった味わい、風雨にさらされた木、長い年月のあいだ使われ、慈しまれてきたものの、やわらかな痕跡。
いちばん入りやすいのは、たとえばの話からです。金継ぎを思い浮かべてみてください。割れた器を金で継ぎ、ひびを隠すのではなく、むしろ際立たせる手わざです。繕った跡が、その器のいちばん美しい部分になります。あるいは、花器の中心から少しずらして生けられた一輪の花。あるいは、縁の欠けたマグカップ。それでも手が覚えているから、つい手に取ってしまう一客。侘寂のものは、部屋の向こうから眺めて感心されることを求めません。かたわらに、そっと寄り添って過ごすことを求めるのです。
不完全、無常、未完。永遠に続くものはなく、完全に仕上がるものはなく、完璧なものもない。そしてそのことは、悲しみではなく、むしろ美しさの宿る場所なのです。
「Wabihana」という名前の由来
この名前は、侘(わび)に、花を意味する花(はな)を重ねたものです。ですから「Wabihana(侘花)」は、いわば侘寂の花。急がず、少しだけ不完全であるからこそ美しい、小さな一輪です。品評会のために仕立てられた見せるための花ではなく、散歩の途中でふと目にとまるような花。一本の茎が、わずかにかしいで、消えてしまう前のひととき、光をとらえている。そんな花です。
私たちは、この名前がひとつの約束を帯びているところが気に入りました。花は、急いで咲こうとはしませんし、しおれることを詫びたりもしません。ただ自分の時間をかけ、その始まりから終わりまで、まるごと見るに値します。それは、「色のなかに、静けさを見つける」ことだけをうたうアプリにつける名前として、ふさわしく思えました。このうたい文句は、じつのところ、侘寂をそっと働きに出しただけのものなのです。
その哲学が、アプリをどう形づくったか
耳ざわりのよい言葉を、ただ製品に貼りつけて、中身はなにも変えない。それはたやすいことです。私たちは、そうしないように努めました。この考えは、アプリにあるものと同じくらい、アプリにないもののなかに姿をあらわします。タイマーはありません。守らなければならない毎日の連続記録もなければ、火曜日を一日さぼると消えてしまう小さな炎もなく、早く終えろと急かすバッジもありません。なにかがカウントダウンすることもなければ、少し離れたことであなたに罪悪感を抱かせるものもありません。塗っているあいだ、その静けさを破る広告もありません。画面は、あなたのものであり続けます。
不完全さは、あえて許されています。領域から少しはみ出して塗っても、塗りがほんの少しむらになっても、アプリはそれを、誤りではなく「味」として受け取ります。そのことで点を引かれることはありません。番号のついたゾーンをひとつずつ、ゆっくりと塗り重ねた一枚は、あなたが注いだ時間をそのまま抱えています。棚の上で、週末まで塗りかけのまま置かれたキャンバスも、それはそれで、まったく申し分のない状態です。目指してきたのは、写真の一分のすきもない複製ではありません。そこへ向かう道すがら、あなたが見つける静けさのほうなのです。
あなた自身の写真、あなただけの不完全なパレット
この考えは、もっと静かなかたちでも、アプリの隅々を流れています。そもそも、絵がどうつくられるか、というところにです。あなたが塗るのは、あなた自身の写真です。旅先で撮った少しぶれた一枚、じっとしていてくれなかった犬、古いプリントをスキャンした祖母の顔。パレットは、きれいなプリセットの見本帳から選ぶものではありません。あなたの写真のなかにある本物の色から、不完全さもろとも、そのまま取り出されます。色あせた空は、色あせた空のままです。その正直さこそが、ここに宿る「寂」です。本物の瞬間の痕跡を、修整で消し去るのではなく、そのまま残しているのです。
私にとって大切なのは、これがAIによってあなたの写真をより滑らかで、より当たりさわりのないものへ描き直す処理ではなく、決められた手順にもとづく画像処理だということです。アプリは、実際にそこにあるものだけを相手にします。写真が、機械にどう見えるべきかを推測させることなく、どうやって番号のついた領域になるのか。それが気になる方のために、写真が番号付きキャンバスになるまでで、やさしい言葉で順を追って説明しています。
古い考えを、そっと今へ
数字塗り絵は、いつの時代も、どこか慎ましいものでした。ひと組のキット、一枚の下絵、小さな絵の具のいくつか。高尚な芸術を気取るところがありません。その飾り気のなさは、とても侘寂らしく、この趣味がかれこれ一世紀ちかくものあいだ、人びとを静かに慰めてきた理由の、大きな部分でもあります。それがどこから来たのか、もっとくわしい物語が知りたい方には、数字塗り絵の歴史が、心地よく迷い込める寄り道になるはずです。
Wabihana は、その急がない心持ちを、スマホとブラウザの上へ、けれどスマホにそれを台なしにはさせずに運ぼうとする、私なりの試みです。無料で始められて、アカウントはいらず、ウェブでも Android でも使えて、そして決して、急げとせかしたりはしません。もしこのどこかが心に響いたなら、いちばんよい理解のしかたは、あなた自身の小さくて不完全な一枚を、実際に描いてみることです。写真から始めて、しばらく歩みをゆるめるのがどんな感じか、たしかめてみてください。それが、侘寂の花です。小さく、ねらいすぎず、そして時間をかけるからこそ美しい、一輪の花なのです。